甲冑の新たな可能性
埼玉県-関東
地域
将軍の道
東京の北に位置する越谷市に忠保の工房があります。湖と川で有名なこの地域は、古くから商業の中心地で、商人たちは水路を使って南下し、都に物資を運んでいました。
現在、湖はビジネスよりもレジャーの場として利用されていますが、街にはかつての面影が数多く残っています。多くの神社仏閣、再生された旧商家や工房は、徳川将軍家の墓がある世界遺産の日光へ向かう重要な中継地であった越谷の歴史を思い起こさせます。
越谷の歴史
三代続く武具の名店
大越家の19代目となる保広は、株式会社大越忠製作所の当主です。1947年、祖母の代に工房を構えたのが始まりだといわれていますが、その歴史はさらに古く、優れた甲冑を作るための技術は代々受け継がれており、保広も30年前から名工である父・弥太郎に師事していました。そして2007年、伝統の「忠保」を名乗り、ついに当主の座に就いたのです。
保広と父・弥太郎が受賞した数々の賞は、日本政府からの表彰も含め、忠保商店の品質、献身、技術の高さを物語っています。しかし、保広は、この受賞に満足することなく、自分の技術の各要素に磨きをかけ、自分のスキルと作品の質を次のレベルに引き上げることに専念しています。
特徴
伝統、精密、5000歩の技
忠保は、5月5日の端午の節句に日本全国で使われる武者鎧の人形を80年以上にわたって作り続けています。この人形は、日本の有名な武士が何百年も着用していた鎧や兜を再現したもので、日本の家庭では祭りの中心となる飾りであり、各家庭で代々受け継がれる家宝となるのが一般的です。
忠保では、1つの鎧兜を作るのに、なんと5000もの工程を必要とします。そのため、細部へのこだわりはもちろんのこと、さまざまな技術や素材に精通していなければなりません。金細工・木工品・京織物・組紐・皮革工芸など、日本の伝統工芸が結集した「忠保|甲冑」は、他に類を見ないものです。機械による大量生産が当たり前になった今、「忠保|甲冑」は、最初から最後まで手作業で作られる、まさに「手仕事」なのです。
お客様へ
忠保の革新的なボトルアーマー
保広は、工芸品や甲冑を通じて、日本の文化や伝統を広く世界に伝えたいと考えていました。しかし、日本の特定の祭事で使用されることが多いため、その実現は難しいように思われましたが、あるクライアントから一升瓶に収まる鎧兜の製作依頼を受けたことをきっかけに、もっと多くの人に自分の技術を伝えることができないかと考えるようになりました。試行錯誤の末、一年掛かりで完成させたのがこの作品です。
伝統的な祭りの人形に比べれば、組み立ては簡単ですが、このボトルアーマーには、忠保の特徴である精密さ、緻密さ、そして卓越した品質が表れています。この革新的な作品は、千年以上の歴史を持つ芸術を現代に蘇らせるものであり、保広にとって重要な意味を持つのです。